もし明日、人生が終わるとしたら——
わたしは、何を後悔するだろう。
15年前、わたしの街は津波に飲まれました。礼拝堂のグランドピアノは、三本の足を上に向けて、泥の中でひっくり返っていました。
——それでも、あのピアノは、音を取り戻して帰ってきた。
わたしも、そうでした。
A Tenor's Pilgrimage · Japan → Britain · 2026
一
2011年3月11日、大きな地震が東日本一帯を襲い、わたしが住んでいた釜石の市街地も津波に覆われました。礼拝堂は、1階の天井まで水が来ました。わたしは裏山に逃げて、難を逃れました。
翌日、帰ってきて見たものは、泥の山でした。聖壇も、木の椅子も、倒れてぐちゃぐちゃに。その中でグランドピアノは、三本足を上に出して、ひっくり返っていました。津波にぐうっと持ち上げられて、そのまま逆さまに沈んだのでしょう。
ボランティアの方々がピアノを助け起こしてくれました。しばらく放っておいたのに、4月30日、ピアノがまた音を鳴らしたのです。——被災した現場で、被災したピアノが、傷つきながら音を出している。
わたしにはそれが、傷ついた人が復活する幻に見えました。
聖書には、イエス・キリストは傷ついたままで復活したと書いてあります。
「ここにキリストがいる——捨てちゃだめですよ」。わたしは、そう言い続けました。ピアノは4年間乾かされ、生まれ変わり、震災から5年後の2016年、復活の歌「おかえりなさい」とともに、礼拝堂へ帰ってきました。
二
被災した教会が、被災者を支援する。わたしはそれを使命だと思い、少し熱くなっていました。ドラム缶に火を焚き、椅子を出し、道行く人に「休んでいきましょう」と声をかける。「教会さんも大変ですね」と返される。地域の一員として受け入れてもらえた——そう感じていました。
けれど、抱えていた仕事は三つ。毎週の礼拝、被災者支援、そしてめちゃくちゃになった建物の再建。どれか一つでも大変なのに、全部を背負って——2週間も経たないうちに、わたしの心は、折れていきました。
診断名は「適応障害」。いわゆる震災うつです。半年、休職しました。それでも回復しないまま復職し、いつも疲れていました。
「へなちょこで優柔不断」と、自らを語る牧師。
けれど、自分の弱さをさらけ出せるというのは、その人の強さでもある。— 朝日新聞「てんでんこ 祈り」より
三
そんなときも、支えてくれたのは聖書の言葉でした。「神は善人の上にも悪人の上にも太陽を昇らせ、恵みの雨を降らせてくださる」。——わたしが頑張っているから太陽が昇るのではない。よい人だから雨が降るのでもない。朝を迎えられること、それ自体が、ただ与えられているのだ。
わたしは、毎日四つのことに感謝すると決めました。食べ物、着る物、住む場所、そしてともに生きる仲間・家族。津波の夜、わたしたちには食べ物がありませんでした。だからこそ分かるのです。当たり前は、当たり前ではない。
そうやって底を打ったころ、ひとつの問いが、降りてきました。
明日、人生が終わるとしたら、
何を後悔するだろうか。
立派だからでも、神に顔を向けているからでもなく——
むしろそうでないときにも、理由なく、愛されている。
四
実は、この言葉がわたしの人生を変えたのは、これが初めてではありませんでした。ある朝、歯を磨いていると、ふいに「後悔しない人生を」という言葉が心に降りてきた。研究者として少し安定してきたころのことです。わたしは、お金のことをほとんど考えずに、その道を降りて牧師になりました。父の言葉が背中にありました。「お金で進路を決めるな。必要なものは、神が与えてくださる」と。そしてもう一度、同じ言葉が、震災うつの底で問いとなって返ってきたのです。
「明日死ぬなら何を後悔するか」。問われて思い出したのは、学生のころの夢でした。高校、大学と明け暮れた合唱で、わたしは宗教曲と出会いました。ウィリアム・バード、トマス・タリス——宗教改革期イングランドの作曲家の音楽に、心を奪われました。イエスを信じることと、宗教曲を歌うことは、一つに重なっていました。
憧れた聖歌隊がありました。イギリス・ケンブリッジのキングズ・カレッジ聖歌隊。世界最高峰の聖歌隊です。けれど本当に聴きたかったのは、コンサートではなく、礼拝の中で歌う、その歌でした。
やがて結婚し、子が生まれ、仕事に追われ——夢は、すっかり忘れていました。20年以上。3.11で、ぼろぼろになって、初めて、思い出したのです。
五
2018年。ロンドンとケンブリッジへ、いわば巡礼の旅に出ました。ほぼ毎日、夕礼拝(Choral Evensong)に通い、最後の一週間は礼拝を"ハシゴ"するほど。あの空間にいることが、楽しくて仕方なかった。自分の信仰の原点を、思い出したのです。けれど帰国して時間が経つと、新しい欲が出てきました。——あの場所で、自分も歌ってみたい。
2023年。RSCM(英国王立教会音楽院)の聖歌隊オーディションを、この礼拝堂からZOOMで受け、パスしました。ソールズベリー大聖堂とブリストル大聖堂で、日本人ただ一人として歌いました。一週間で30曲。高校で初めてミサ曲を知ってから、38年。ついに、典礼の中で、合唱でミサ曲を歌う夢がかないました。
「一生の思い出になりましたね」と言われました。
——「いえ、一生の思い出にするつもりはありません。また行きます。」
六
英国の大聖堂では、音楽が毎日、礼拝そのものとしてささげられています。コンサートでも、コンクールでもなく。お客様に喜んでもらうためでも、審査員に評価されるためでもなく。ただ、神にささげるために。
宗教曲は、もともとそのために作られました。わたしがずっと歌いたかったのは、その"もともとの形"です。
そして——この景色は、日本にはありません。
だからこそ、挑む価値がある。
七
「いつか行きたい」と思っているうちは、きっと一生行けない。——そう気づいたとき、わたしは人生の舵を切りました。
2026年3月。19年間仕えた新生釜石教会の牧師の職を、辞しました。そしてこの夏、イギリスへ渡ります。7月末、エディンバラでRSCM Residentiary Choirへ。
正直に言うと、その先は、まだ何も決まっていません。あるのは、9月からクリスマスまで、英国の大聖堂聖歌隊の一員として、日々の礼拝で歌いたいという希望だけです。どこでどのような聖歌隊で歌うことになるのでしょうか。
妻と子は、この不安定な旅路には加わらず、盛岡で暮らします。わたしは単身で、海を渡ります。何の保証もありません。
けれど、振り返れば、わたしの人生はいつも"無謀な一歩"の連続でした。小学生のころ、弟を連れて時刻表だけを頼りに甲子園へ向かった冒険から。「君の成績で東大に入った人はいない」と言われて、"でも過去のデータだ"という後半だけを信じた受験から。お金を考えずに牧師になったあの日から——。そのたびに人に助けられ、神の恵みに養われて、なんとか越えてきました。
難しいことを、やらない理由にしない。
八
この挑戦は、ゴールではありません。始まりです。わたしには、名前だけ決めた構想があります。——「柳谷クワイヤー・アカデミー」。英国で得たものを、日本へ持ち帰りたいのです。
日本にも、世界に通用する高水準の合唱はあります。けれどそれは、お客様の前で歌い、拍手をいただく、ビジネスとしての合唱です。「神に音楽をささげる」、その一点のための高水準の聖歌隊は、この国にまだありません。それを創ることが、わたしの究極の目標です。
はっきり言えば、「無理だろうな」とも思います。
でも——諦めたら、そこで試合終了です。
ならば、一歩でも二歩でも、その思いを持って歩むことは、決して無駄ではないはずです。傷ついたまま復活したピアノのように、傷ついたままのわたしたちにも、負うべき使命があり、新しい命がある。その一歩目を、いま、踏み出します。